悪魔の弁護人 御子柴礼司 –贖罪の奏鳴曲– 最終回 感想|何やかんやでハッピーエンド
綺麗に収まりました。
まぁ、駆け足気味になってしまうのはこの枠ではあるあるだと思っているので、
こうなっちゃうだろうなぁとは予想していましたが…。
辞職を求めた御子柴(要潤)が事務所に戻ってきた理由が
「信じてくれている人=日下部(ベッキー)がいるから」というのが、
俺は彼女を幸せにする事は出来ないと言って去っていったものが
結局断ち切れずに戻ってくる…みたいな恋愛ドラマの展開っぽくて
ちょっとフフッとなってしまったり。
本作のテーマは「正しい罪の償い方とは何なのか」。
名前を変えて再スタートを切った御子柴の目線でそれが描かれてきましたが、
肝心の事件内容と殺害動機があまりにも突飛で惨たらしいものだったので、
個人的には、最後までその王道なテーマと主人公の意図が
結びつかないように思いました。
つまり、感情移入するには背景描写が足りなかったのかなぁ…という事。
王道寄りにするならば、殺害動機も「ついカッとなってしまった若さ故の過ち」や
「本当は殺すつもりはなかったのに誤って刺してしまった」にするべきでしたし。
逆に「虫と人間の中身が同じなのか調べたかった」という動機で押し通すならば、
そんな尋常ではない考え方に至るまでに、少年時代は母にどう育てられてきたのか…
といった家庭環境を1話分ガッツリ描くなどして、
“犯罪を起こす前の御子柴(園田)"を見たかった気がします。
肝心の死体配達人の真相もチラ見せするだけで、説明台詞で終わってしまったのも、
前回から岬(津田寛治)の縦軸が急にねじ込まれたのも、
「これ、原作の重要な話が抜けているんじゃないか?」と思わずにはいられませんでしたが。
まぁ…お母さんが救われたのは良かったのかなぁと。
ただ、現在の事件の方もクロの可能性はありますけども…
現実でもきっと、知って得する事よりも、
知らなくて良い事の方がいっぱいあるのだろうという解釈で…。
ここまで見てきて話の持って行き方的には、
やはり「もうそこでそのネタを使うの!?」オンパレードな2話が
個人的ピークではありましたが、
台詞にはハッとさせられるものは多く、少年法のあり方とは?罪を償うとはどうあるべきか?
を考えさせられるドラマとしては中々真摯な作りだったと思います。
要潤さんの硬派な弁護士役もハマってました。
最後に、今後を生き抜く上でのヒントにもなり、ちょっとタイムリーだなぁ…と感じられた、
一番印象に残った台詞を書き残して終わりにします。
「どうしてみんなそんなに他人の人生に興味があるのか逆に不思議なんだ。
自分の人生が上手くいかないからって、不満を他人にぶつけているんじゃないのかな?」
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