モコミ〜彼女ちょっとヘンだけど〜 10話(最終回) 感想|トミーは捨てられたおもちゃに…
え〜っと…トミーの扱い、可哀想過ぎない??
なんだあの、大人になってから捨てられるおもちゃみたいな別れ方(苦笑)
「役目が終えたから」「喋れなくなったから」捨てるものなのか?
さっきまで汗水垂らして探し回っていた萌子美(小芝風花)はどこ行ったのか?
もう喋れなくても、小さい頃から親友だったんだから、
新たな環境で頑張る萌子美を応援するお守り的存在にしたって良い気がするんですけど。
結局、彼女にとってトミーはトミーじゃなくて「モノ」でしかなかったんだ…と
思えてきちゃって、全然感動出来ませんでしたわ(汗)
最終回の内容自体も、数話まとめたダイジェスト版を見ている感覚…。
特に、俊祐(工藤阿須加)の劇団に入るくだりも蛇足でしたね。
元々目指していたというより、
一度やってみたかったという未練を打ち消すために挑戦してみたのは分かりますよ。
でもさ、役者志望の人に「ハングリー精神がない」とか言っておきながら、
彼も随分甘ちゃんだと思いませんか?
もし失敗しても花屋が残っている、彼女が待っていてくれるという"保険"があるから
数カ月程度であっさり戻ってこれるんでしょう。
結局は恵まれた環境に甘えているんですよね。
伸寛(田辺誠一)も自分勝手ですが、息子もその点では同じです。
それぞれが自由に好きな事をやる中、
千華子(富田靖子)だけが"お荷物"と言わんばかりに
誰かの意見に流されては従うしかなかったという着地点に落ち着いたのもモヤる。
観(橋爪功)に関しては家庭を壊したのは事実なんですし、
別に許す必要はなかったのではないかと。
母が許しているから娘も許す…はイコールにはならない。
みんなが本来の自分を晒け出しては何だかんだで受け入れられてきたけど、
千華子だけは(あの感謝の台詞を除いて)最後まで労ってもらえなかったのは気の毒でした。
確かにうざがられるのかもしれませんよ。
でも、父の田舎暮らしだって、一人暮らしだって真っ当な考えだったのに…。
なんで母だけが最終回になってもディスられ続けてきたんだろう。
最初に本作を見た時は、コンプレックスである"ちょっとヘンな部分"を
主人公が受け入れて成長していき、その姿を見た家族も影響されて変わっていく…
みたいな家族再生物語の路線を期待していましたが、
周りのエピソードも膨らませ過ぎたために、結果的に何人もの主役が集まった群像劇になり、
回を重ねるごとに主人公の"モノと話せる能力"がぼやけてしまったのは残念でしたね。
その群像劇にしたって、最終回になったら人が変わったように浄化されていく駆け足展開で終わり。
萌子美をただの内気で引きこもりがちな性格にして、モノと話せるのではなく、
感情を持たないはずの植物やぬいぐるみの声が聞こえてしまう
“繊細な心の持ち主"の設定にしても十分成立出来た気がします。
天真爛漫な役の多いイメージのある小芝風花さんが
こんなにも自信なさげのか弱い役もこなせるんだ…という発見はありましたが、
もし彼女が主演じゃなかったら最後まで好意的には見られなかったでしょう。
「小芝風花さん主演作は当たり説」は早くも途絶えた感じですね…。
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