俺の家の話 10話(最終回) 感想|最高の花道!"どこかに"ずっといるよね。
前回の感想で寿一(長瀬智也)のナレーションの事を「伝記」って例えたの…
あながち間違いじゃなかったですね。
序盤からな〜んか奇妙な感じだったんですよ。
いつものようにみんなで食卓を囲むんだけど、
寿一に反応しているのは寿三郎(西田敏行)だけだし、
観山家の資産の分配について「どうやって?」って…え?4等分なら割り切れるんじゃないの?
って違和感を抱えながら見ていた分、
それが寿一の死に関する伏線だったと分かった途端、全てが腑に落ちました。
能が題材である事…隅田川を披露する意味…
前回で「俺が息子だったら出てくるよ。だって会いてぇもん」と寿三郎に話していた理由…
どれも最終回の衝撃的な展開に関係するものだったんですなぁ。
能の舞台会場で寿三郎が座っていた時に下から現れた時のお風呂スタイルの寿一には
かつての"殺気"なんて全く感じられず、
少し気の抜けた柔らかい表情をしていたのを見て、
あぁ…本当にこの世からいなくなってしまったのかとようやく実感…。
舞台と地上の高低差を利用して上から俯瞰で彼を撮るという演出も印象的で、
そのお陰で当時厳しく指導していた頃の"子供"のようにも見えたし、
そのうち消えてしまいそうな、寿三郎にしか見えない"妖精"にも映りました。
それから寿一は有言実行と言わんばかりに、今度はスーパー世阿弥マシンとして
さくら(戸田恵梨香)やプロレスラー達の前に現れる。
「スーパー世阿弥マシンに山賊抱っこされて惚れた思い出」があるさくら。
ブリザード寿時代からずっと支えてきた仲間達。
“寿一そのもの"ではなくいろんな格好で現れたのは、
いなくなっても、一緒にいたという記憶や思い出はずっとそばにある…という事なのでしょう。
最後のマスクを取るシーンは
山口百恵さんの"あの"引退パフォーマンスを彷彿とさせるものだったけれど、
取る"瞬間"までは映らなかった。
あれで完全に別れを告げたと捉える人もいれば、
またいつかひょっこりと現れるだろう…というほんの希望を持つ人もいて、
解釈は大きく分かれるのかもしれません。
本作はひたすら誰かを「尊重」する優しさに満ちていたドラマだったと思います。
思えば、25年間も家族をほったらかした人がそんなに日も経たないうちに馴染めるのなんて
現実ではそうそうないし、
寿一が辞めると言っていたプロレスを再び始めていたのだって、
正体が分かった時点で問い詰める事は出来ただろうけど、
また消えてしまうかもしれない…という彼への想いから、
本人がカミングアウトするまで全員で黙っていてくれた。
寿限無にも遅めの反抗期があったけど、最終的には"父"だと認め、見舞いもしてくれたのもそう。
だから、最終回の結末だって、
「長瀬くんが芸能界からいなくなったなんて嘘だ」と思ったって良いんだと。
登場人物やファン、誰も傷つけない。
そんなラストに仕上げたクドカン、本当にありがとうございます…と言いたいです。
表現はちょっと大げさになるかもしれませんが、
長瀬くんの作品は、私の成長と共にあった思い出みたいなものでしたからねぇ。
小学生の時はあれやってて、中学生はあれで…って、いろんな作品が思い浮かぶ。
TBSの金10もそうだけど、日テレの土9にもよく出演されてたイメージがあります。
小さい頃から当たり前のように見てきた方だから、暫くお目にかかれないとなると寂しいですが…
寿一みたいに何年か後にまた芸能界に顔を出す日が来るのかも…って期待したって、良いよね?
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