にじいろカルテ 6話 感想|病気=悪とは限らない
「病気って面白い」
「病気になる事で起こる事は、悲しい事ばっかりではない」
真空(高畑充希)のこの台詞、私の中では結構衝撃的だったなぁ…。
ここ何年か医療を扱ったドラマを見てきたけど、幸せをもたらすきっかけとして
病気にかかる事をポジティブに捉えた内容には今まで出会わなかった。
難病なんて、本人からしたら生きているだけでしんどいし、
描きようによっては緊張感のあるシリアスな、
下手したらお涙頂戴なシーンになるでしょうに…
本作にとって病気にかかる事は「誰でも起こりうる普遍的な事」で
「生きていく上で、幸せを得る上で必然的に訪れる通過点」なのですね。
病気との向き合い方も次のフェーズに来たのだと、
世界が広がるような、新たな発見を得た気分でした。
メインである真空がカミングアウトするのを葛藤する話の他に、
緑川家と霧ヶ谷家の日常を描いているのも良い。
特に何が良いかって、 彼女が自分の想いを話している最中に別の場面で出てくる人物は
モブ的な扱いになりそうですし、基本脇役なので入れなくても何ら支障のないものなんですが、
そこに3話で雪乃(安達祐実)の治療に、真空と一緒に献身的に協力していた
挿入する意味のあるシーンになっている事。
雪乃に対して優しく接する人でも病気にはかかるし、それでも大切な人と笑い合って生きているし、
嵐の娘の日向を預かるという急な出来事でも
前向きに捉えて楽しみながら対応しようとする。
他の人には見せない違う一面が知れるのって、連ドラの醍醐味でもあるよなぁ…。
真空が村に越してきてから太陽(北村匠海)や朔(井浦新)に支えられてきた日々と
リンクさせていく形で、「人間は病気と付き合いながら生きていく」を平等に表したのは
中々粋な演出だと思いました。
真空が母に病気をカミングアウトするのを拒む理由を
幼少期からの回想で見せてくるのも泣けてきますね。
受験に合格して、白衣姿で母と一緒に撮った記念写真。
あれだけでも多分、何か良い事が起こる度に写真=記録として
残してきたんだろうなぁと思えますし、それだけ母も自分の事のように嬉しくなるほど
娘を可愛がって育ててきたんだろうなぁとも思えます。
そんな尽くしてきた母に、自分の病気のせいでまた人生を犠牲にしてしまったらどうしよう…と
考えてしまうのも無理ないですよね。
でも、真空は幸せに過ごしている。それが伝わる大量の写真。
母に娘の気持ちは届いたみたいで、本当に良かったです。
次回は再び雪乃のお話でしょうか。
年齢が思い出せなくなるっていうのは辛いですねぇ。
…中の人が何歳か分からなくなるほど全然歳とらないんだから、
知ってしまったらむしろ「そんな歳行ってたんだ…」とショックを受けて
進行が進みそうな気がしなくもないですが…ってこら(笑)