作りたい女と食べたい女 6・7話 感想|居心地の良さを感じる正体は…
6話
「食べたい」気持ちを家族に理解してもらえなかった
春日さん(西野恵未)の過去に付随して、
「作りたい」好奇心が「家庭的で凄い」の色眼鏡で見られてしまう
野本さん(比嘉愛未)の苦しみも描かれた、
2人の根本にある"生きづらさ"に焦点を当てた回になっていました。
春日さんが今では同じものをいっぱい食べる件については、1話の感想でも触れたように、
きっと家で食べている方が自分らしくいられて楽なんだろうな…とは思っていましたが、
家庭内での料理の盛り付けで格差をつけられてしまう事がきっかけだったんですね。
「男性はこう、女性はこうであるべき」みたいな、一昔前の価値観の押し付けを
結婚観とか仕事観に絡めながら表した作品は
たまにお見かけする事はあっても、それを「盛り付け」で…っていうのは珍しい。
でも、男兄弟がいる家庭なら、あるあるなのではないでしょうか。
春日さんの家庭ほど厳格ではないものの、
兄がいる私も、一番量が多い順から少ない順に兄>私>母 で
量を変えられた経験は学生時代にしてきたので、
彼女のモヤっとした気持ちにも少し共感は出来るんですよね。
(父は休日しか家に帰ってこないので、2人か3人での食卓が多かったのです。)
兄は運動部でバリバリ体を動かしていて、
運動していない私が兄と同じくらいの量を食べたら太るから
母が調整してくれているのだとは分かってはいても…
それでも、いつもお兄ちゃんばっかりいっぱい食べられて良いな〜って
当時は羨ましがっておりました。
「これまでの分を取り返すように食べていた」といった春日さんの発言にもあるように、
元々男兄弟の中で育ってきた女性が1人暮らしをしたら、
自分の好きなように食べられる事に嬉しさと幸せを感じられるんだろうな…とも思います。
そんな春日さんの背景がじっくり描かれたためか、
はらこ飯の量が野本さんよりも気持ち多くなっているのが一目で分かる
2人分の食事が並ぶカットには、「食べたい」気持ちを尊重してくれる存在に出会えた
彼女自身の喜びが反映されているようで、思わずほっこりさせられてしまいました。
なんて事ない演出なんですけどね。
でも、シンプルに物事を見せようとするからこそ、
真っ直ぐ伝わってくるものもあるんですよねぇ。
7話
へぇ………なるほど………
事前情報を入れずに、このまま「需要と供給が相互で一致している2人」が
友達や恋人関係といった既存の枠に収まらない
新しい形のパートナーを築き上げていくまでを描く
物語になるのだと思いながら見ていたので、
同性愛を盛り込んできたのにはかなりびっくりしましたね。
でも、そうなってくると…野本さんが自分がレズビアンだと気づくまでの心情変化も、
急過ぎるんではないかな?って気がしなくもないんですよね。
認めるまでは行かなくても、「自分って周りとは違うのかな…?」という違和感は
小さい頃で抱えていて、10代になってから初めて自覚するケースが多い…
個人的にはそんなイメージがあります。
原作だと恐らくもう少し踏み込んで描かれてはいるんでしょうけど、
“気づき"を得る過程で、野本さんの幼少期に一切言及がされていなかったのが
疑問に感じた原因なのかもしれません。
現代社会に潜む問題に斬り込む力と、調査力の高さに定評のあるNHKドラマだからこそ、
そこにもっと丁寧さがあっても良かったかも?と思えてしまいました。
これ…次週からどんな内容になっていくんでしょうね。
「女性同士の恋愛」がメインにならなければ良いのですが。
せっかく、居場所が出来た2人に癒されてきたので…
最後までその方向性で貫き通して行って欲しいです。