35歳の少女 6話 感想|"不変"はない事を知る望美…
とうとう来てしまいましたねぇ…
「私のせいで、家族が不幸になった」という現実を思い知らされる展開が。
前回から急激に主人公と周囲の"変化"を見せているので、
4話までの多少堂々巡りな内容をもう少し上手く見せて行ってれば…とも思うんですが、
ドラマとしては今回も面白かったです。
主人公の存在が周囲に影響を与える。そうしたら、今度は周囲が主人公に影響を与えていく。
「25年遅れた子育て奮闘記」らしい形になってきてますね。
それにしても、望美(柴咲コウ)に突きつけられる言葉が辛いなぁ。
「あんたなんか死んでくれれば良かったのよ!」
愛美(橋本愛)、確かに言い過ぎではあるんだけどさ、
こんな辛辣な言葉を投げかけたくなる気持ちになるのも
無理はないと思ってしまう部分もあるんですよね。
望美…というより、"25年間も眠っていた"という事が
多恵(鈴木保奈美)を始め、家族を狂わせて行ったのは事実だから。
普通に25年経っていても考え方や価値観は変わってくるし、
子供の時に感じた幸せな日常は変わらないって事はほぼないんですけれども。
でも、少なからず、望美が事故死で眠っていなければ、
母親が付きっ切りで看病して「私やパパを寂しくさせる以外何もしてこなかった」と
言い捨てられはしなかったかもしれないから…。
25年間は25年間でも"10歳から"というのがまた残酷で。
(どちらにせよ長い間目を覚まさないのは辛いけど)
せめて高校生ぐらいの時だったら、世間の情勢や家族との関わり方は
それなりに理解出来ている年頃だと思うんですよ。
しかし、望美の考え方は子供のままでストップしている。
世間に徐々に馴染むようにはなってきたし、
服装も髪型も実年齢との差が小さくなりつつあるけど、
根本的な思想はそう簡単には変わらないものなんですよね。
一度豆腐で成功したから、今度もそうすればまた仲直り出来るだろう…という考えは
“子供なら"許されるけど、"35歳なら"許されない。
思えば、3話の多恵に手紙を渡す件も、自分が子供だった時のカセットテープを聴いて
「そうだ!またこうしよう!」という思いつきで動いていたっけ。
自分がいる事で家族を幸せに出来るのは、可愛くて仕方がない子供の時だけ。
「不変」はない。
目覚めたら35歳になっていた彼女がぶち当たる試練は、あまりにも惨い…。
そんな壊れた家族を結び直してくれる人が結人(坂口健太郎)。
自身も理想と現実のギャップに苦しみながらも、主人公を支え、
家族の元に再び幸せがやって来るように働きかける役どころは大変複雑ではありますが、
今回のラストでは、いつも以上に坂口健太郎さんが
存在感を発揮されていたんじゃないかと思っています。
「俺にはなーんにも出来ない…」と涙を含める声の発し方で弱い部分を見せてからの、
「けど俺は!これから何があってもお前のそばにいる!」と言った時の
キリッとした鋭い眼差し…、
そして、モモの小説の亀について話す時には、
瞼が下がり目に柔らかさを帯びて、優しい顔つきになる
表情での演技の変化がとても素晴らしかった。
だから、キスシーンにもちょっとドキッとさせられましたし、
望美にはやはり彼の存在が必要で、
これからもそばにいて欲しいと強く願わずにはいられませんでした。
“我が家"のカットから始まる幸せいっぱいの冒頭で
いつも使われている「う〜う〜…」という劇伴を、今回ではこの2人のシーンで流したのも、
そんな気持ちにさせるのには効果的だったと考えています。
しかしまぁ…ドラマ目線じゃなくて役者目線で見てしまうと…
本作の坂口さんはかっこいいなぁと(笑)
最初は違和感あった髭面も、ちょっとやさぐれた役には合ってますしね。