リコカツ 6話 感想|離婚する事は人生が終わるという事
相手のために作った手料理を、勝手に食べては平らげる水無月(白洲迅)には
なんて非常識な奴だ!とは思いつつも、
実は「最後の晩餐」を代わりに食べた事によって
2人の関係を繋ぎ止める救世主的な存在になるんじゃないかと期待を膨らませていただけに…
ああ、やっぱり、そう上手くは行かないか…と、
現実味を帯びた結末に切なくなってしまいました…。
両親2組とも、最後は何の躊躇いもなく、割とあっさりと離婚を承諾。
「バイバイ」でお別れ。もう潔く諦めた父の顔。未練がなさそうに家を去る母。
その様子を見た2人は、付き合っていた当時は周りが見えなくなるほど相手に惚れ惚れして、
惹かれあっていた夢のような時間を送っていたはずなのに、
自分達も離婚する時はあんな風に別人になってしまうのか…と想像したら、
いてもたってもいられない気持ちになったんでしょうね。
両親を想って言った言葉は、自分はこのままで良いのだろうか?という
迷いとして跳ね返ってきた。でも、当本人には届かなかった。
だから、雨が降って止んだ時に見えた2つの虹に励まされもしたし、
感動もしたんだと思います。
もしかしたら、また寄りを戻せるのかもしれない…と。
が…紘一(永山瑛太)の性格上、決意は変えられないらしく、
結局は咲(北川景子)も耕一もそのまま離婚するという同じ道を辿ってしまう事に。
届いたカーテンをつけて、ようやく理想の家が完成し、
咲はこの家にいた方が良いと勧めた後の、紘一の一連の言動…
「最後に、このカーテンをつける事が出来て良かった」
「自分がいなくなっても、せめて君の事を守れるように」
そして、唯一の私物である、額縁に入った教訓は持ち帰る。
ここら辺のくだりが、カーテンだけは形見として残し、
彼はまるでこの世からいなくなってしまうように映りました。
そこで、序盤の方で、他人だと思うと急に楽になったと感じた
咲の想いの本質に気づかされます。
結婚するという事は一見幸せの象徴ではあるけれど、
日が経っていくにつれて、どんな物事でもお互いに考えや行動を一致させながら
二人三脚で生涯を歩まなければならない"重圧"に変わる。
で、やがて歳を重ねて、相手が病気や老衰などで先に亡くなってしまった場合、
家に住む者は一人になってしまう。
相手の人生を背負う必要はなくなった。
けれども…これから毎日は孤独な老後を過ごす事となる。
離婚って多分、こんな感じで、晩期が早くやってきた状態に近いのかもなぁと。
そう考えてやっと、何となく分かったつもりでいた咲の想いを
深く理解する事が出来ました。
あと書き残したい内容は…ラストの紘一の様子ですね。
あれは恐らく…離婚届は出していないんじゃないかな〜?
いつもみたいに力んでいない、ちょっと棒読みっぽい話し方で、
最後の別れの言葉が心なしか早口に思えて、咲の顔も見ずに早く去ってしまったのは…
自分の気持ちを悟られまいと隠しているように見えました。
「言語化出来ない」はこのシーンの前フリですよね。
言語化出来ないから、意地を張ってしまう。
本当は離婚したくないけど、咲のためを想って…
「さよなら」を意味する左手で握手して、表向きは別れた事にしようと。
そんな風に捉えています。
早口→去る の流れは、瑛太さんが視聴者にそう思わせようと
意図的に演技されたのだとしたら凄いなぁ。
さて次回。
離婚したのを良い事に、一ノ瀬(田辺桃子)が出しゃばりそうで嫌ですねぇ(苦笑)
見終わった後にイライラしているのが目に見える。
水無月もかなり厄介でも、第一印象からそのイメージは変わらなかったですし、
この人はこういう性格だからしょうがないかと認められる部分はありますが…
彼女の場合は、紘一の前では真摯な人間であろうとしているのが反感を買うんですよね。
早く撃退してくれないかな〜。